2006年3月28日

Papan探検隊、壁画発見!!(ちょっと前のmixiで書きました)

とうとう、発見した。(^_^;)

そのうち「あるぞ、あるぞ」と恐れおののいていた原色の壁画が、リクライニングソファに隠れた秘境の、イスの背も含めた三面の壁に見事に描かれていた。

赤のクレヨンで描かれたその壁画は、白く壁紙が貼られた壁1メートル四方を自在に躍動し、そこにはまった作者らの純白のブラウスをも、深紅に染めていた。

今まで、はがされた壁紙は副隊長がたびたび発見していたが、これほどまでに見事に描かれた壁画は貴重だ。もし消すとしたら半日はかかるだろう。

隊長はじめ一行は、これからも発見が続く予感に身震いした。。。

(つづく)

投稿者 Papan : 23:51 | 子育て | - | -

2006年3月25日

薫りのある場所へ

桜の季節、桜並木を眺めるたび、
無垢な少年少女時代や、
甘酸っぱい想い出を、
走馬灯のように巡らせている人も多いと思う。

当たり前のように、
季節の花や懐かしいモノ、写真など、
目から呼び起こされる記憶は強い。

でも意外に、心臓の左上斜め45度、
4センチあたりをいつもくすぐるのが“薫り”。

真っ黒になって帰る家路の途中、横丁で嗅いだ
春の沈丁花、秋のキンモクセイなどの花から、
墓地から香るお線香の匂い、
羊歯が茂る秘密基地付近の苔生す匂い、
法事の時のお寺の木の廊下の匂い、
旅行で胸いっぱい吸い込んだ桧の森の匂い、などなど。

風景以上に薫りが思いがけないフラッシュバックを
引き起こしてくれる。

こどもを連れて、香りある場所へ行ってみません?

投稿者 Papan : 23:17 | 子育て | - | -

2006年3月22日

幸運の小人が気持ちをくすぐった一日

昨日の春分の日はいろんな用事で、盛りだくさんの賑やかな一日だったけど、
ちょっとした第六感も冴えていた。

宝くじ買えばよかったって感じ。

車の中でWBC(野球)聞きながら、カミさんが「打てなきゃ、体を張れ!」と言えばデッドボール、僕が「こりゃフォアボールしかない」といえばフォアボールで押し出し。

デパートで8千円の商品券で、1万ウン千円のこどもの入園用の服を買ったら、ポイントで4千円の商品券が返ってきた。

他にも細かいことがいろいろ。些細なツキも、重なるととても幸福な一日を演出してくれる。

何てことはないんだけど、春分の日にふさわしい、前日からの陰陽が逆転した気分転換になった一日だった。

※前日は逆に些細な“イヤイヤ”トラップの連鎖で、かなりフラストレーションのたまる一日だったんだ、これが。

投稿者 Papan : 21:55 | - | - | -

2006年3月19日

アクロバティック・アスレチック・ホリデイ

きのう、車で30分程のところにあるフィールドアスレチック・コースに出かけた。

横浜市の外れ、246のすぐ脇にあり、決して空気がいいわけでもなく、むしろ場内もゴミや焼却に無頓着で、ちょっと体に悪そうな印象もあるけれど、なかなか楽しめた。

コースは、就園前の幼児には多少きつい難コース、というか実は僕にもムリ。
全部をこなすには、15年ぐらいさかのぼらないとついて行けない。
でも、遊具全体の3分の1ほどを、こどもたちは小さいながらそれなりにやりこなし、楽しんでいたなあ。

むしろ、遊んでいるうちにどんどんできるようになる。
スラムダンクで、「遠征に居残りでシュート練習をしている桜木花道を見ている、安藤先生の心境」。うん。

そうそう、最初にある公園には「フリー・フォール=遊園地によくある絶叫マシン名」と称したすべり台があるんだけど、これがなかなか。大人でも楽しめる。カミさんも「ひゃー、ひゃー」。

世間には、休みの一日ぐらい笑顔で満たしてくれるところは、まだまだ見つけられるらしい。

投稿者 Papan : 22:27 | 子育て | - | -

2006年3月5日

胸の奥まで、太陽の光が届く瞬間

題名のような瞬間が、人生には何度かある。

それは大それたことではなくて、日常の中のほんの些細な瞬間にも、
まるで鈍色の空から突然一筋の太陽光が僕目がけて差してきた時のように、
傍らにある小さなガラス玉に反射して、
周囲を希望に満ちた何かが始まる予感のように変えるその瞬間のように、
突然訪れる。

この週末、そんな太陽の光がほんの一瞬、僕の希望の欠片をきらめかせて
雲の向こうに太陽があることを教えてくれた。

投稿者 Papan : 22:15 | 子育て | - | -

2006年3月1日

谷内六郎

昭和の時代、週刊新潮の表紙を描き続けていた谷内六郎さんの絵が大好き。

文庫本の画集を何かあるたびに、季節が変わるたびに眺めていた。
子供の頃の情景が、まぶたではなく、胸の、
左胸の鎖骨の下あたりに残像が残る世界が彼の絵には描かれている。

横浜そごうで開催されていた展覧会は、残念ながら先週で終わってしまったが、
あんまりデパートの美術館で見たくないな、って気持ちもあるのでよいことにしよう。
だって、デパートでこどもを連れて絵を見ているところを、
彼が生きていたら、また彼の絵世界の中に描かれてしまいそうだから。

むしろ夕方、風のある日に、ちょっとした空き地で
彼の絵を直接見ることなく、まぶたの奥に再生して楽しみたい。

投稿者 Papan : 22:43 | 日常 | - | -

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